極北日記 Make Oneself Life.

ある日入り込んでしまった人生の極北トンネル。その出口を見つけるまで。

0007 家族ごっこは終了です

帰宅するなり母は、急き立ててすべてを聞き出そうとする。実家への移住に関することは、なんとか話せたものの、体の調子のこと、薬のこととなると、上手に表現ができないので疲れてくる。表現力の乏しさと、健忘とで、言いたいことの半分も言えず、何もかも苦痛で話すのが嫌になってしまう。

心配してくれているのはわかってる。でも、一気に説明するとなると、頭は混乱するし当然疲れるわけで。泣きそうになるのをこらえて「少しずつお願い」と言うのが精いっぱいだった。


夜、クーさんに電話する。犬の面倒はプーさんが通ってご飯をあげることにしたとのこと。犬のごはんくらいあげてくれないのかと、あきれてしまう。

「プーさん、私たちが離婚するのは嫌だって」

「だろうね」

「でも、父ちゃんがいつまでも今のままなら、離婚もアリかもだって」

「あっそ」

「だから、クーさんの中で何か変わったら迎えに来て。それまで二人で修行してるから」

心のどこかで、わかっていた。迎えに来るような人ではないことを。結婚してから何度か喧嘩をしたことがあるが、一度だって誤ってくれたことはない。いつも「自分は悪くない」の人なのだ。

私だって離婚は嫌だ。私も頑張って変わるから、夫にも変わってほしい、ただそれだけなのだ。プーさんのために。

悲しいはずなのに、涙は不思議と出てこない。泣けない。涙は心の浄化作用。心が浄化されないのは切ないけれど、泣き疲れるよりは楽だ。

自分で自分を調整できるようになりたい。このままだと、いつまでたってもプーさんに甘えてしまう。このままじゃ、共依存になってしまう。


隣の幼馴染の家から花火をするにぎやかな声が聞こえてくる。兄弟それぞれのパートナーと子供たちが楽しそうに花火をしている。幼いころは一緒に遊び、兄弟がいるという疑似体験をさせてもらったが、あくまでもそれは疑似でしかない。あの光景にあこがれを感じながらも、今更もう疑似体験さえできないことぐらい知っている。

私もプーさんも一人っ子だ。例え兄弟がいなくても、家族三人で花火をすることはできる。なぜ、あんな風に楽しそうに過ごすことが、できなくなってしまったんだろう。いつからだろう。どこからだろう。そんな哀しみで今夜は眠れそうにない。朝から話過ぎた。話した分だけ考えてしまう。ましてや最後に話した夫との会話は虚しすぎる。

もう、結婚前のようにはいかない。
お互い、ままごとも家族ごっこさえも、できない状態になってしまっているのだ。




20070903MON