極北日記 Make Oneself Life.

ある日入り込んでしまった人生の極北トンネル。その出口を見つけるまで。

0002休暇願を出すまで

私は保険の外交員をしていた。上司に恵まれ、素直に教えられたことをしていたおかげか、入社後1年ちょっとで旦那の給料を超えることができた。あっけなかった。

なのに・・・

逃げたいのに、どこにも逃げられない。どこへ向かえばいいのだろう。気付けば車を、南のはずれから北へとUターンさせていた。自宅の近辺を素通りして、さらに北に向かった。そのはずだったのに。

翌朝、私はICUにいた。

目を覚ますと看護師さんが家族を招いた。大丈夫かと尋ねられたが、答えるより先にココはどこかと尋ねた。私は、車で北に向かっていたはずなのだ。うっすらと断片的に記憶がよみがえる。自宅エリアを過ぎ、北に向かい始めたころ急に眠気が襲ってきたので、ヤバイと思い車をUターンさせて自宅へと向かった。映像に残っている記憶はそこまでで、あとは女の人の声と、男の人の声と、なんて話しかけられたんだっけ?

幸い骨折やむち打ちもなく、生きているのは奇跡だと警官はいった。ただ、シートベルト打撲のため、左側の腰骨が痛くて歩くのがやっとな状態だった。翌日の月曜日には一般病棟へ移り、朝から仕事回りの連絡に追われた。会社に連絡を入れ、上司に報告し、アポの入っていた顧客にキャンセルの電話を入れる。クレームこそはなかったものの、こちらの状態などわかるわけもなく、リスケをせがまれる。いつ退院できるかわからないからとりあえず来週に変えてもらい、すべての連絡が終えたときにはもう昼近かった。

上司がランチ時を狙って見舞いにくる。見舞いというよりは、いつ復帰ができるかの確認である。当然のことだとわかっていながら、心が擦り切れそうだった。

午後、親友のゆーさんが見舞いに来てくれた時は、顔を見るなり泣きそうになった。リラックマの本を買ってきてくれた。1ページごとにイラストとほっこりする言葉が書かれており、ビブリオマンシーのように使ってもよいとのこと。早速、自分に必要なページをさっと開く。

思わず、すぐ閉じた。

「くまって、なんでこんなにほっこりするんだろうね」

そう言ってお礼を言うのが精いっぱいだった。

打撲程度の入院は、ICU含めて3日で終わりを迎えた。夫に連れられて事故現場と車の残骸を見に行くと、警察官が言った「奇跡」という表現が、けして大げさなものではなかったことがわかる。私は、なんで生きているんだろう。あの日、北に向かったはずなのに。なんでまだここにいるんだろう。

事故の瞬間の記憶がないせいか、次の車が納車されても抵抗なく運転はできた。ただ、外回りを終えて夕方の帰社時刻になると過呼吸を起こすようになってしまっていた。

やばくない?こんなオンナ、放っておいたらいつかまた事故を起こし、こんどこそ誰かを巻き沿いにしてしまう。あんな事故り方をしても、心療内科や精神科を進められるわけでもなく、普通に3日で退院した私を、世間は見て見ぬふりなのか。触らぬ「殺しても死なない女」に祟りなしなのか。警察でさえ、単独事故で処理するだけだ。世の中と自分に不安が募り、運転することに抵抗を覚え始めるのにそんなに時間はかからなかった。

不眠で通っていた精神科医にはいかず、取引先の医院の中で心療内科も掲げている病院があったので、受信をすることにした。


それから休職願いを出すまでに、季節が一つ変わる時間を要した。




2007.春